『猗窩座再来』の原作対応範囲は、16巻第140話「決戦の火蓋を切る」から18巻第157話「舞い戻る魂」途中までが目安です。猗窩座戦は過去を含めて決着し、童磨戦は次章へ続きます。
2025年7月18日に公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は上映時間155分。胡蝶しのぶ、我妻善逸、竈門炭治郎&冨岡義勇という複数の戦いを並行させながら、猗窩座の物語に大きな区切りをつける第一章です。
この記事は映画本編および原作18巻付近までの重大なネタバレを含みます。
猗窩座再来はどこまで?原作140話から157話途中が目安
結論から整理すると、『第一章 猗窩座再来』の主な原作対応範囲は16巻第140話から18巻第157話途中までです。
検索している人が最初に知りたいポイントだけをまとめると、こうなります。
- 対応開始の目安:16巻・第140話「決戦の火蓋を切る」
- 対応終了の目安:18巻・第157話「舞い戻る魂」途中
- 善逸vs獪岳:第一章で決着
- 炭治郎&義勇vs猗窩座:第一章で決着
- 猗窩座の人間時代「狛治」の過去:第一章で描写
- しのぶからカナヲへ続く童磨戦:第一章では未決着
第140話と第157話の話数・タイトルはいずれも確認できるため、「16巻後半〜18巻途中」という巻数だけで覚えるより、この話数で押さえるほうが境界を理解しやすいです。
ただし映画は、原作漫画をページ順にそのまま映像へ置き換えただけではありません。
無限城内で同時進行する出来事を劇場作品として再配置しているため、「第140話の最初から第157話のこのコマまで完全に一直線」というより、140〜157話付近のエピソードを一本の映画として再構成した作品と考えるのが分かりやすいでしょう。
『無限城編』自体は三部作として制作されています。第一章だけですべての上弦や鬼舞辻無惨との戦いが終わるわけではありません。
ここが重要なんだよね!
サブタイトルは「猗窩座再来」ですが、映画一本が最初から最後まで猗窩座だけを描くわけではありません。
むしろ第一章は、しのぶ、善逸、炭治郎&義勇という三つの戦いを順番に見せながら、最後に猗窩座の物語へ感情を集中させていく構成になっています。
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原作140話から何が描かれる?しのぶ・善逸・猗窩座戦を整理
第140話付近から始まる無限城の戦いでは、鬼殺隊の仲間たちが各所へ分断され、それぞれが上弦の鬼と対峙していきます。
『柱稽古編』の終盤では、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉が鬼舞辻無惨を迎え撃ち、珠世も無惨を弱体化させるために動きました。
しかし鬼殺隊士たちは鳴女によって無限城へ落とされます。
それまで一つの目的に向かって集結していた戦力が、一気に別々の場所へ引き離されるわけです。
この構造が無限城編の面白さでもあり、怖さでもあるんだよね。
誰かが苦戦していても、別の柱がすぐ助けに行けるとは限らない。
しかも相手は上弦クラスです。
だから第一章は「一人の主人公が敵を順番に倒して進む物語」ではなく、複数のクライマックスを同時に抱えた群像戦として進んでいきます。
胡蝶しのぶvs童磨は第一章でどうなる?
第一章序盤で強烈な印象を残すのが、蟲柱・胡蝶しのぶと上弦の弐・童磨の戦いです。
童磨は単なる上弦ではありません。
しのぶの姉・胡蝶カナエの死にも関わる因縁の相手です。
つまり、しのぶにとっては鬼殺隊の使命であると同時に、長年抱えてきた個人的な怒りと悲しみに向き合う戦いでもあります。
しのぶは毒と高速の突きを駆使して童磨を追い詰めようとします。
しかし、上弦の弐である童磨の力は圧倒的です。
そして第一章では、しのぶ自身の戦いには大きな転機が訪れ、童磨との直接対決を栗花落カナヲが引き継ぐところまで進みます。
ネタバレを明確にすると、しのぶは童磨に取り込まれ、カナヲがその場へ到着。
ただし童磨そのものは倒されていません。
原作でも童磨をめぐる戦いは第157話以降へ続いていくため、第一章の終了地点として非常に分かりやすい「未解決の戦線」になっています。
ここは第一章の構成を考えるうえでも重要です。
映画の序盤で、いきなり「柱でも上弦には簡単に勝てない」という現実を見せる。
そのため、その後の善逸戦や猗窩座戦にも「誰が生き残れるのか分からない」という緊張が残り続けるんです。
善逸vs獪岳は第一章で決着する
続いて大きく描かれるのが、我妻善逸と新たな上弦の陸・獪岳の戦いです。
獪岳は善逸と同じ桑島慈悟郎のもとで雷の呼吸を学んでいた兄弟子。
『柱稽古編』終盤で善逸が手紙を受け取り、それまでとは別人のように静かになっていた理由が、この戦いへつながっています。
獪岳が鬼となったことで、師である桑島慈悟郎は責任を取る形で命を絶ちました。
その事実を知った善逸は、いつものように誰かに守ってもらう側ではなく、自分自身で兄弟子との因縁に向き合います。
ここで披露されるのが、善逸が自ら編み出した雷の呼吸 漆ノ型 火雷神。
善逸vs獪岳は第一章の中で決着します。
僕がこの戦いで特に重要だと感じるのは、強さそのものより「戦う姿勢」の変化です。
善逸はこれまで恐怖をむき出しにするキャラクターとして描かれ、戦闘では眠った状態で能力を発揮する場面が象徴的でした。
ところが獪岳を前にした善逸は、自分の意思で立っています。
誰かに起こしてもらうのではなく、自分で目を開けたまま人生の問題に決着をつける。
だから戦闘時間そのものは猗窩座戦ほど長くなくても、善逸の成長という意味ではシリーズでも非常に大きな転換点だと思います。

猗窩座再来のクライマックスはどこ?炭治郎と義勇が決着へ
第一章最大のクライマックスは、やはり竈門炭治郎&冨岡義勇vs上弦の参・猗窩座です。
そして「猗窩座再来はどこまで?」という疑問への答えとして重要なのは、戦闘途中で終わらず、猗窩座の物語そのものに決着がつくところまで描かれることです。
これは『無限列車編』から続く因縁の決着でもあります。
猗窩座は2020年公開の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で炎柱・煉獄杏寿郎と戦った鬼です。
当時の炭治郎は、煉獄と猗窩座の戦いに本格的に加われるほどの実力を持っていませんでした。
それが第一章では、水柱・冨岡義勇と並んで猗窩座へ挑みます。
この時点ですでに、炭治郎がどれだけ遠くまで成長したかが分かるんだよね。
冨岡義勇の痣が発現する
猗窩座戦では、冨岡義勇の戦闘能力も本格的に描かれます。
義勇は水の呼吸を駆使して猗窩座と戦い、その極限状態の中で痣を発現。
『刀鍛冶の里編』では時透無一郎や甘露寺蜜璃に痣が現れていましたが、義勇も同じ領域へ踏み込みます。
『柱稽古編』の義勇といえば、自分が柱の立場にふさわしいのか悩み、他の柱たちから距離を取っていました。
だからこそ第一章での義勇は印象的です。
多くを語るのではなく、猗窩座という上弦の参を相手に刀一本で自分の実力を示していく。
僕はこの戦いを、義勇が「水柱」という肩書きを自分の剣で引き受け直す場面として見ると、さらに熱くなると思っています。
炭治郎が「透き通る世界」へ近づく
一方の炭治郎は、猗窩座がなぜこちらの攻撃へ異常なほど正確に対応できるのかを考えます。
鍵になるのが、猗窩座の「闘気」を感知する能力です。
相手が攻撃しようとする気配そのものを察知されるため、普通に戦う限り猗窩座の感知から逃れるのは難しい。
そこで炭治郎は父・竈門炭十郎の姿や過去の経験を思い出し、余計な力みや殺気を消した状態へ近づいていきます。
そして到達するのが「透き通る世界」。
炭治郎は闘気を消した状態で猗窩座へ迫り、ついにその首を斬ります。
ところが、この戦いは首を斬っただけでは終わりません。
猗窩座は首を失った状態でも再生し、なお戦い続けようとします。
ここから第一章は、それまでの「炭治郎たちが猗窩座を倒せるのか」という勝負から、「なぜ猗窩座はそこまで強さへ執着するのか」という人物の物語へ切り替わっていくんです。
これがサブタイトル「猗窩座再来」の本当の重さなんじゃないかな。
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映画で「透き通る世界」や義勇の痣を見て、原作ではどう描かれているのか比べたくなった人もいるはず。
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猗窩座の過去はどこまで?狛治・恋雪・慶蔵まで描かれる
猗窩座の首が斬られたあと、第一章はそのまま戦闘終了とはなりません。
猗窩座が人間だった「狛治」の過去まで描かれ、彼がなぜ強さへ執着する鬼になったのかが明かされます。
ここまで入って初めて、「猗窩座再来」という一本の映画が完成すると僕は感じます。
狛治は、病気の父を抱えた貧しい少年でした。
父のために生きようとする一方で、生活は追い詰められていきます。
やがて父を失った狛治は行き場をなくしますが、そんな彼を受け入れたのが素流道場の師範・慶蔵でした。
狛治は慶蔵の娘・恋雪の看病をしながら道場で暮らすようになります。
病弱だった恋雪は少しずつ元気になり、二人は将来を約束する関係へ。
狛治にとって、ようやく「守りたい人と生きていく未来」が見え始めます。
しかし、その未来は隣接する道場との争いによって失われました。
その後の狛治は絶望の中で鬼舞辻無惨と出会い、「猗窩座」となっていきます。
ここで、『無限列車編』から抱いていた猗窩座の印象が大きく反転します。
鬼となった猗窩座は弱者を嫌い、強さを求め、強者には「鬼になれ」と迫る人物でした。
煉獄杏寿郎にも鬼になるよう何度も勧めています。
ところが人間だった狛治は、病気の父や恋雪のように、自分より弱い立場にいる大切な人を守りたかった青年だった。
この矛盾が猗窩座の人物像の核なんだと思います。
「弱い者が嫌いだから強くなった」という単純な話ではない。
本当は守りたいものを何度も失い、その痛みすら忘れた結果、強さだけを求め続ける存在になってしまった。
だから人間時代の記憶を取り戻すことは、猗窩座にとって単なる回想ではありません。
自分が何のために強くなりたかったのかを思い出す瞬間なんです。
最終的に猗窩座は再生を続けて炭治郎や義勇を倒す道ではなく、自ら戦いを終える方向へ進みます。
つまり第一章は「炭治郎が猗窩座の首を斬ったところ」ではなく、狛治が失っていた記憶と向き合い、猗窩座という存在の物語が終わるところまで描く作品です。

第一章のラストはどこ?157話途中から童磨戦へ続く
猗窩座の物語に決着がついても、無限城の戦い全体は終わりません。
第一章の終盤では、童磨との戦いを引き継いだ栗花落カナヲをはじめ、無限城内で戦い続ける鬼殺隊側の状況が残されています。
原作第157話「舞い戻る魂」は18巻に収録されており、童磨をめぐる戦いが再び前面へ出てくるエピソードです。
このため映画の続きを漫画で読みたい場合は、18巻を読むのが最も分かりやすいでしょう。
厳密に続きだけを追うなら第157話途中以降が目安ですが、映画では場面の順番や演出が再構成されています。
そのため個人的には、18巻を最初から読み返すほうがつながりやすいと思います。
映画で描かれた猗窩座戦を漫画版でも確認し、そのまま童磨戦へ進めるからです。
一方で、この段階ではまだ強敵が残っています。
上弦の弐・童磨は健在。
さらに無限城には上弦の壱・黒死牟がおり、鬼舞辻無惨との決戦も控えています。
だから第一章の終了は、ゲームで言えば「第一ステージをクリアした」という感覚とは少し違います。
むしろ複数ある巨大な戦線のうち、猗窩座という一本だけが完結した状態なんですよね。
ここが第一章の終わり方のうまさだと思います。
観客は猗窩座の最期によって強い感情的な区切りを得られる。
でも物語上は「まだ終わっていない」という緊張が残る。
映画一本としての満足感と、三部作の第一章としての続きへの引力を両立させているわけです。
なお、『無限城編』が三部作であることは発表されていますが、第二章が原作の何話から何話までを映像化するかは、正式な発表と原作からの予想を分けて考える必要があります。
「第一章が140〜157話付近だったから、残りも同じ話数ずつ」と単純に割ることはできません。
戦闘の長さ、回想、アニメ独自の補完、場面の再配置によって映画一本の尺は変わるからです。
なぜ「しのぶ→善逸→猗窩座」の順番が効く?第一章を構成から考察
ここからは僕の考察です。
第一章が強い理由は、ただ人気バトルを3本並べたからではなく、しのぶ→善逸→猗窩座と進むにつれて、観客が感じる感情の種類を変えていることにあると思います。
まず、しのぶvs童磨。
ここでは「柱でも負けるかもしれない」という恐怖が強く提示されます。
無限城に落ちた時点では鬼殺隊も総力戦へ入っていますが、しのぶの戦いによって「ここから先は主要人物でも安全ではない」と観客へ突きつけるわけです。
次が善逸vs獪岳。
ここでは恐怖よりも、因縁への決着と成長によるカタルシスが前面に出ます。
師を失った善逸が、自分で編み出した漆ノ型を使い、兄弟子との関係に終止符を打つ。
序盤で重く沈んだ感情が、ここで一度「前へ進む力」へ転換されます。
そして最後が猗窩座戦。
猗窩座戦では、勝敗の興奮だけでなく「敵だった人物を理解してしまう悲しさ」が加わります。
つまり感情の流れを整理すると、
喪失の恐怖 → 成長による解放 → 敵への理解と別れ
という形になっているんです。
この順番だから、155分という長尺でも同じテンションの戦闘が延々続く印象になりにくい。
どの戦いも剣を振るっていますが、観客が受け取る感情はそれぞれ違うんですよね。
僕はここが劇場版としてかなり重要だと考えています。
もし猗窩座戦を映画の中盤で終わらせ、その後に別の長い戦いを置いたら、狛治と恋雪の回想で生まれた感情が薄まってしまう可能性があります。
逆に猗窩座を最後の大きな柱に置けば、戦闘の興奮から過去の悲劇、そして最期の選択までを一本の大きな感情曲線として閉じられます。
だから「猗窩座再来」というタイトルも、単に人気キャラクターの名前を掲げたものではないと僕は考えています。
第一章の中で、猗窩座は最大の敵であると同時に、最後に最も深く人生を描かれる人物になっているからです。
さらに面白いのが、『無限列車編』との対比です。
無限列車編での猗窩座は、炭治郎から見れば圧倒的に遠い存在でした。
煉獄杏寿郎と猗窩座が戦っている間、炭治郎は基本的にその激闘を見届ける立場です。
しかし第一章では違います。
炭治郎自身が義勇と共に猗窩座へ挑み、猗窩座の感知すら突破する境地へ進む。
猗窩座という同じ敵を置くことで、無限列車編当時の炭治郎と現在の炭治郎の距離が見える。
これが僕にとって、『猗窩座再来』最大の新しい見方です。
猗窩座自身の完結編でありながら、同時に炭治郎の成長を測る巨大な物差しにもなっているんですよね。
5年前の劇場版では、煉獄に守られるしかなかった。
今度は自分の刀で、あの猗窩座と向き合う。
この対比まで含めると、「再来」という言葉は敵だけでなく、観客自身が無限列車編の記憶へ再び向き合う意味も持っているように感じます。
猗窩座再来はどこまで?140話〜157話途中までと覚えればOK
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』の原作対応範囲は、16巻第140話「決戦の火蓋を切る」から18巻第157話「舞い戻る魂」途中までが目安です。
第一章では、しのぶvs童磨、善逸vs獪岳、炭治郎&義勇vs猗窩座という三つの大きな戦いが描かれます。
そのうち善逸と獪岳、炭治郎&義勇と猗窩座の戦いには決着。
猗窩座については、人間時代の狛治、恋雪、慶蔵との過去まで踏み込み、なぜ彼が強さを求め続けたのかまで描かれます。
一方、童磨との戦いは栗花落カナヲへ引き継がれた状態で継続します。
そのため映画後の物語を原作で追うなら、18巻から確認するのが分かりやすいでしょう。
第一章は無限城編全体から見ればまだ序盤。
それでも一本の映画として成立しているのは、猗窩座というキャラクターの物語だけは明確な終着点へ運んだからだと僕は考えています。
155分を使い、しのぶで無限城の恐怖を示し、善逸で成長の熱さを見せ、最後に猗窩座で「敵だった人物を知る悲しさ」へたどり着く。
ただ戦闘を豪華に映像化しただけではなく、感情そのものを段階的に積み上げた第一章なんじゃないかな。
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よくある質問
『猗窩座再来』は原作漫画の何話から何話までですか?
主な対応範囲は、第140話「決戦の火蓋を切る」から第157話「舞い戻る魂」途中までが目安です。
単行本では16巻後半から18巻途中にあたります。
猗窩座との戦いは第一章で最後まで描かれますか?
はい。
炭治郎&冨岡義勇との戦闘だけでなく、人間時代の狛治、恋雪、慶蔵に関する過去まで描かれ、猗窩座の物語には第一章の中で決着がつきます。
映画の続きを漫画で読むなら何巻からですか?
18巻から読むのが分かりやすいです。
厳密な続きは第157話途中以降が目安ですが、映画では場面の順序や演出が再構成されているため、18巻の最初から読むと猗窩座戦から童磨戦へのつながりを確認しやすくなります。
執筆:ジョウスター

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